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C#, .NET, Scala ... について勉強したことのメモ

2019年をふりかえって。ピアノをやめた。

今年も無事終わりそうなので振り返ってみます。

2019 年、26 歳になって、生まれて初めてピアノをやめました。今まで見ていた世界が全部崩れて、新しい世界に出会ったみたいです。

赤ちゃんのころから音の出るおもちゃが好きで、耳が良かったのか歌もすぐ覚えるし、まだ立てるかどうかのときから、知らない大人ともペラペラ喋っていたそうです。 4 歳のころ、保育所の先生の猛烈な後押しに両親が説得されてピアノを習い始めました(父親は、男にピアノなんて、と反対したそうです)。 それから 26 歳まで、ぼくの人生にはつねに音楽が溢れていました。 大切なことは全部音楽が教えてくれました。音楽がない人生なんて考えられませんでした。

最初、練習することなんて知りませんでした。 実家は田舎の漁師で裕福な家庭ではなかったので、ピアノは買ってもらえず、どこからか譲り受けてきた古いオルガンを与えられました。 ぼくにとって、オルガンは練習するための楽器ではなく、最高に楽しい遊び道具でした。 家ではレッスンで与えられた曲は一切練習せず、好き勝手に弾いていたようにおもいます。 知らないうちに絶対音感というものがついていました。いまでも、楽音はほとんどすべてドレミで聞こえます(シャープやフラットに関してはすこし濁ったようなイメージで入ってきます)。 教本にのっている曲で、聞いたことのある曲なら練習しないで弾けました。 そうでない曲は、先生がレッスンでお手本を弾いてくれるので、それを聴いて覚えて弾きました。

オルガンはかなり古かったので、小学校に上がる前に壊れたとおもいます。 次は、小さい鍵盤が光るキーボードが家にやってきました。 キーボードはこれまたぼくの新しい遊び道具になりました。よくエレクトーンごっことか、木琴ごっことかをしていました。

そのうち、(どうやって習ったか覚えていませんが)少しずつ楽譜が読めるようになりました。 楽譜が読めるようになると、ピアノに触らなくても、頭の中で楽譜通りの音を再生できるようになりました。 そんなこんなで初見でも勝手に指が動くような状態になり、中学校に上がるぐらいまでは練習なんてほとんどしませんでした。 レッスンで初見で弾いてちょっと直されるか丸をもらって帰ってくる、というのがふつうでした。 小学生のとき(時期は覚えていない)両親は金銭的な悩みもあったでしょうが、一番安い中古のアップライトを買ってくれました。 楽器としては決してスペックがよいとはいえないピアノでしたし、音色もあまり良いものではありませんでしたが、それでも、初めて買ってもらった生の楽器には、思い出がたくさん詰まっています。

中学生にもなると、古典のソナタやバッハの勉強に入って、さすがに初見ではつらくなり家で練習するようになりました。 練習の楽しさがわかると、もっと勉強したいとか、そんなふうに思うようになりました。 他に特別な取り柄もなかったので、人に認められる手段として、音楽以外考えられなくなっていました。 中学校後半になると、変声障害によって人と話すのが嫌になりました。 毎週遊んでいた友達とも疎遠になりました。 そんなとき、感情をぶつける唯一の相手はピアノでした。 このときから、どんどん音楽にのめり込み、ピアノだけがぼくの唯一の理解者となっていました。

中学を卒業する頃のぼくは、それなりに賢明な選択をしました。 まじめに頑張って勉強すれば就職して食べていけることがほとんど保証されているような、釧路高専に入りました。 声のこともあって、音大に行きたい、ピアニストになりたいなんて夢はそっと殺しました。 歌の試験があることぐらい、中学生のぼくでもわかっていました。

高専に入ってから、少ないながらも友達はできました。 でも、遊びには参加しませんでした。意図的に深くかかわらないように逃げました。カラオケが嫌でした。歌うのも嫌だし、気を遣われるのも嫌でした。 寮にも部活にも入っていなかったので、人とのつながりは最低限のものでした。

吹奏楽、というのはなんとなく聞いたことがある言葉、ぐらいのものでした。 母親や叔母が学生時代にやっていた。高校の時の先生がなんとか先生っていう有名な先生だった。とかそのぐらいの認識でした。 入学当初はスルーしていましたが、夏の吹奏楽コンクールまで 1 ヶ月切った頃でしょうか。 ミス・サイゴンを演奏するのに、あの印象的なピアノを弾く部員がいないようでした。 部活の掲示板に「ピアノ急募!!」と書かれているのをみました。 そこで、思い切って吹奏楽部に入りました。

吹奏楽部に入ってから、とりあえず人手のたりない打楽器に配属されました。 とにかく練習しました。先輩たちや同期はみんな優しく接してくれました。 音楽の力で、人とつながるという経験をしました。 みんなでひとつの音楽をつくりあげる楽しさも知りました。 頑張っていれば、周りが助けてくれる、ということも学びました。 集団で生きることの難しさも学びました。

音楽の面でも大変な学びを得ました。 顧問の先生は素晴らしい先生でした。音楽に情熱をもち、音楽を深く学ぶことの楽しさを教えてくれました。 毎年、冬になるとソロコンテストの伴奏をしていました。 ここでは、ふだんのピアノのレッスンでは触れることのできないフランスの現代曲なんかにも触れることができました。

どんどん音楽が好きになりました。

でも、どんどん音楽の世界に閉じ込められていきました。

高専に在学中、金銭的な問題から、ピアノをやめるように両親に何度も言われました。 ピアノを辞めることは、当時のぼくにとって、声を奪われるのと等しい苦痛でした。 泣いてしがみついて続けさせてもらえるように頼みました。 今思えば、両親としては、金銭的な理由以外にも、音楽に依存してしまったぼくを外の世界に出したい、というのもあったのかもしれません。

高専での 5 年間はあっという間に過ぎていきました。 卒業式では泣きました。 就職したら音楽がいままでのようには続けられないということはわかっていました。

2013 年に就職してから、少しだけ音楽と距離ができました。 それでも、中古の安い電子ピアノを家に置いて毎日弾き(苦情が来ました笑)、週末にはレッスンに通いました。 作曲の先生を紹介してもらって、作曲の指導も受け始めました。 音大も目指しておらず、ただ好きでやっているだけだから、という理由で、作曲のほうはレッスン料なしで、和声や対位法や作曲についてたくさん教えていただきました。 作曲をしたり、それを発表したり、高専時代の同期(フルートが上手な女の子でした)といっしょに演奏活動をしたりするうちに、どうしても東京でピアノを頑張ってみたい、という気持ちになりました。

生活を徹底的に切り詰め(ごはんが 1 食りんご半分だったり、ごはんに醤油をちょっとかけただけだったりしました)上京資金を 150 万円ほどためたぼくは、 2 年半勤めた会社を辞め、2015 年の秋に東京にやってきました。 東京にやってきたぼくは、 IT エンジニアとしての就職先(現在の職場)を見つけるやいなや、まず防音マンションの契約料に 30 万円ほど、のこりの 120 万円は全額グランドピアノの購入資金にあて、家具の購入は必要最低限に抑えてリボ払いでなんとかしました。 今考えたら狂っています。

上京前にピアノの先生も見つけていたぼくは、上京後すぐにレッスンに通い始めました。 東京でのレッスンは、いままでうけてきたものとは質がちがいました。 1 時間のレッスンで数小節も進まない、そんなレッスンをはじめて経験しました。 コンクールにも参加して、最初の年は全国大会に出場しました。 このことが、のちのちプレッシャーになっていきます。

上京後の生活は決して楽ではありませんでした。 厳しいレッスン、慣れない仕事、決して高くない給料、ピアノの維持費、防音マンションの家賃、レッスン代やコンクール、演奏会の参加料。 いつもギリギリで生活していました。

ある日、本番で失敗をしました。その年、全国大会にはいけませんでした。 ふっと、糸が切れました。 金銭的にも精神的にも肉体的にも、すべてが限界でした。 病院に行くと、中等度のうつ状態と診断されました。 そのときからピアノはおやすみしますと伝え、会社も休職することになりました。 2018 年末のことでした。

休職中は実家に帰りましたが、北海道では心療内科が十分になく、転院がままならない状況だったので 2 週間に 1 度上京していました。 このころ、ピアノはほとんど触りませんでした。 2 ヶ月ほどたって、回復したぼくは職場に復帰しました。

このとき、気づいてしまいました。ピアノを弾かなくても生きてていいんだって。

2019 年春のある日、整体に行きました。 首がものすごく歪んでいるとのことで、骨格の調整をされました。 直接の関係はわかりませんが、この頃から、以前に増して声の違和感がありました。 でも、なんだかちょっとずつ低い声が出るようになって、気づいたら普通の声になっていました。

気づいたら、あらゆることを自由に表現できる声を手に入れていました。 長年身につけていた重い鎖がほどけて落ちていきました。

そこから、音楽に対する情熱が一気に失われました。 声が出るのに、ピアノを弾く意味がわからなくなりました。 またピアノを弾いて、追い詰められるのが怖くなりました。

そうして、 2019 年はほとんどピアノを弾かずに過ごしました。

嫌いになったわけではありません。ただ、必要がなくなってしまいました。 これまではずっと、生きるためにピアノが必要でした。でも、ピアノがなくても生きられるようになってしまいました。

今はまだ、ピアノを弾く意味を見つけられていない状態です。 これから長い年月をかけて、少しずつ音楽に向き合って、情熱を取り戻していけたら。。そんなふうに思っています。